富士登山のシーズンが終わりました

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先週、富士山への登山路が閉鎖されたため、夜になって富士山方向を見ても、灯りが見えなくなりました。なにやら花火が終わったあとのようで、これはこれで何か寂しいかんじがします。

こうなると、次は富士の初冠雪はいつか、ということになりますが、平年では9月30日ころとなっています。が、昨年は16日遅れの10月16日、一昨年は10月19日でした。が、三年前の2012年は、9月12日と早く、今年もこの年と同じくらい涼しそうなので、そろそろ頂に白いものが見えてもおかしくはありません。

一方、富士山頂の富士山測候所では、もっと早くから雪が降ります。2004年に測候所が廃止されるまで、初雪の平年値は9月14日でした。また、最も早い初雪は1963年の7月31日です。遠目には見えなくても山頂ではかなり早くから雪が降っているわけです。

逆に最後に雪の降る「終雪(しゅうせつ)」の平年値は7月11日だそうで、こうしたデータからも富士山頂ではほとんど一年中雪が降っていることがわかり、いかにその環境が苛酷かが想像できます。

従って、登山ができるのは、夏の間のほんのわずかな時期です。

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静岡県は、富士山の静岡側3登山道で今夏、週末とお盆期間に実施した登山者実数調査の最終結果を発表しました。調査した延べ34日間の合計は93,686で、一日平均2,755人だったそうです。

昨年の調査は今年と若干集計期間が一部異なりますが、31日間で102,629人、一日平均3,311人だったそうなので、一日平均を比較すると今年は16.8%減少した計算になります。

また、今年のピークは8月1日の5,421人だったそうで、昨年の最多だった8月2日の7,312
人に比べると22.9%の減です。8月後半以降は登山者が1000人を切る日が3日間もありました。

環境省の7月末までの調査でも約2割減だったそうで、今年は全体的に減少傾向が続きました。8月後半は悪天候などでさらに少なかったことも関係あるのでしょうが、世界遺産登録が実現した2013年から、2年目に入り、ブームが少し落ち着いてきた、ということなのでしょう。

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歩いての登山は終了してしまいましたが、5合目までなら、10月一杯ぐらいまでは、まだまだクルマで登ることができます。ただし、最近の富士山ブームで、5合目あたりの駐車場はかなり混雑するようで、場合によっては路駐になることもあるようです。

また、富士山スカイラインを初めとする各自動車道は、だいたい11月上旬くらいから、2~5合目までの駐車場を含む一部区間を冬季閉鎖するようです。雪が降ったり路面が凍結することがあるためです。

冬季閉鎖の状況、駐車場の状況など、詳しい情報は、下記サイトなどを参考にしてみてください。

富士登山オフィシャルサイト
http://www.fujisan-climb.jp/

富士さんぽ(個人でやっておられるサイトのようですが、見やすく、またかなり詳細です)
http://www.fujisanpo.com/

 

サイクルスポーツセンターとベロドロームのこと

2015-1070394当ニュータウンは、伊豆という風光明媚な場所に位置するだけに、ちょっとお出かけするだけでほとんどどこでも観光名所というかんじであり、いつも紹介している、隣接の修禅寺虹の郷もそのひとつです。

伊豆市にはこのほか、「サイクルスポーツセンター」なるものがあり、これはJKA(旧・日本自転車振興会)など競輪運営団体の寄付金や補助などで建設費や運営費がまかなわれている施設です。

1965年開設で、ちょうど今年で50周年ですから、我がニュータウンの分譲開始と同じ年にオープンしたことになります。サイクルスポーツの普及を図る目的で建てられた施設であり、遊園地もあります。

3~4m上の軌道上を走るサイクルアトラクション、変わり種自転車、水上自転車などなどの各種の遊具施設もあって、これらのはこの施設の方針として、基本的には「人力で動かす」ものばかりです。

しかし、サイクルコースターという子供向けのジェットコースターやメリーゴーランドといった電動?施設も併設してあって、小さな子供でも楽しめるようになっており、このほかにも、レストハウス、体育館、多目的ホール、 流水プール、キャンプ場、パターゴルフ場、宿泊施設などがあり、「一日中楽しめる」が謳い文句になっています。2015-1070405

ちょっと前までは、温泉入浴施設(露天風呂あり)まであったのですが、残念ながら閉鎖してしまいました。

入場料大人820円、子供620円はかなりお安いと思うのですが、オープンから半世紀も経っているので、さすがに古色感は否めません。しかし、最近アスレチック迷路や、巨大ジャングルジムなどの新しいアトラクションを入れるなどして、少しずつリフレッシュを図っているようです。2015-1070402

競輪選手を養成する「日本競輪学校」も敷地に隣接して建てられており、自転車関係者の間では「競輪のメッカ」と目されているようです。

元々自転車競技のための施設として開園した経緯があり、上述の遊園地などは後付の施設です。このため、園内あちこちにある遊具と隣り合わせで本格的な競技トラックがあり、ロード競技用5kmサーキット・トラックレース用400mピスト(走路)・MTB(マウンテンバイク)コースなどがあります。一般にも有料で一般開放しているようです。

今年の連休明けの5月23日には、国内最大規模の自転車ロードレース、「ツアー・オブ・ジャパン」の「伊豆ステージ」もここで開催されました。これは、1982年から1995年まで14回に渡り開催されていた「国際サイクルロードレース」を継承する自転車ロードレースで、1996年にこの名称に変更され、第1回ツアー・オブ・ジャパンが開催されました。2015-1070400

日本国内で行われるロードレースとしては、都府県をまたぐ唯一のステージレースで、今年のレースは、第1ステージは5月17日に堺で始まり、以後、いなべ(三重)、美濃(岐阜)、南信州(長野)、富士山(静岡須走)、に次いで伊豆で開催され、最終ステージは5月24日に東京の大井ふ頭で行われました。

毎年、全ステージを通じて30万人近くの人々が会場や沿道に集まるといい、日本国内では貴重な存在ともいえる公道開催型の自転車ロードレースです。各開催地では出場選手たちによるセミナーやワークショップなども行われるようで、ここ伊豆でもこうした交流活動を市が支援しています。

一応は国際大会であり、また日本国内最高のステージレースとされているため、海外のチームも参加します。が、同じ時期に他の国でも同様な国際大会が開かれるため、なかなか強豪チームを招待しにくい現状があるようです。世界的に見るとレベルの低いレースとみなされているようで、さらにこの中でも日本選手はなかなか勝てないようです。

1996年の第1回大会以降、個人の総合優勝をしたのは、2004年、第8回大会の福島晋一選手だけです。ちなみに、一昨年の2013年はイタリア国籍の選手、昨年と今年の優勝者はともにイランの選手でした。

この、一昨年のイタリアのチームは、日本の建設会社・NIPPOの支援の下で結成されたチームで、監督さんは大門宏という日本人でした。

このため、所属選手はイタリア人がほとんどですが、日本人も数人含まれており、チームは数々の国際大会にも参加して実績をあげていることから、そのうちこれらの日本人選手の中からも有名な人が出てくることでしょう。2015-1070407

サイクルスポーツセンター内にはこのほか、日本初の木製走路競技場である「伊豆ベロドローム」があります。一番の特徴は、走路が木製であるということ。走路が木製仕様の自転車競技場は、日本では西宮競輪場(1949年〜1965年)以来となり、常設および室内の木製走路の自転車競技場としては、日本初です。

これ以外の日本の自転車競技場の走路はすべてアスファルト仕様ですが、2000年のシドニーオリンピック以降、トラックレースの国際大会は、一般的に、室内競技場であること、1周 250メートルあること、そして木製仕様の走路であること、などが開催の条件のようになってきています。

厳密に木製であることが規定されているわけではないようですが、これが国際的な標準仕様とみなされるような風潮があるようで、そうした背景から、2020年の東京オリンピックにおいては、自転車トラック種目の会場を、当初予定の東京からこの伊豆ベロドロームに変更してはどうかという動きがあるようです。

東京オリンピックは当初の計画では予算がかなり超過し、建設コスト軽減のため、数多くの施設が見直しの対象になっていることはご存知だと思います。自転車競技も例外ではなく、当初東京都江東区の有明に仮設の施設を整備する予定でした。

しかし、昨年12月に国際オリンピック委員会(IOC)が他都市との分散開催を認めたことを受け、元総理で自民党のドン、森喜朗オリンピック組織委員会会長が「伊豆を使うことがいいのではないか」と発言。伊豆ベロドロームが有力候補として浮上したわけで、これに引き続き、2月には日本自転車競技連盟(JCF)がこの案に同意する決議をしました。2015-1070419

同連盟は国際自転車連合(UCI)にこの内容を記した親書を送っており、東京都の枡添知事も新たに競技場を作るよりはコスト削減につながるとして、前向きの姿勢をみせているようです。伊豆市の菊地豊市長も「候補として名前が挙がったことは大変うれしい。もし決定すれば、伊豆半島の皆さんと一丸となって歓迎したい」と期待を示しています。

ただ、五輪で求められる規格を満たすためには観客席を増設する工事が必要だそうで、宿泊施設の確保や輸送などの課題もあります。とはいえ、東京からは新幹線利用で1時間半、また宿泊施設は地元の修禅寺温泉や長岡温泉などいくらでもあり、受け入れるベースはかなり整っているといえます。

このベロドロームには筆者も行ったことがありますが、大変に綺麗で立派な施設です。トラックレースのみならず、ロードレース、マウンテンバイクレース、BMXの競技も行えるように造ってあり、その設計はサイクルスポーツの本場、ドイツのラルフ・シューマンという人が行い、建設はこうした箱モノで定評のある日本の清水建設が行いました。

走路にはシベリア松を使用、周長 250mで、最大カント(最大傾斜角度)はナント45度もあります。なのに、幅員は7.5mしかなく、走路の間近に観客席があるため、文字通り「かぶりつき」で観戦ができます。2015-10704121

ただ、国内の他の競輪場で見られるような金網などはまったくないため、身を乗り出しての観戦は危険を伴います。また観客の不注意でモノを走路内に落としたりすることよって、競走中の選手に危害を及ぼしかねない可能性もあるため、こうした対策をどうするかは今後の課題でしょう。

また、観客席数が常設1800席、仮設 1200席というのは、オリンピック施設としては少々少なすぎる気がします。上述のとおり、五輪で求められる規格を満たすためには観客席の増設工事が必須となるようです。

とはいえ、2011年9月の竣工からまだ4年弱しか経っておらず、2020年の東京オリンピックの際でもまだ10年未満となりますから、ほとんど新品です。こうした立派なモノを使わない手はなく、ぜひ伊豆開催を実現してほしいものです。

サイクルスポーツセンターの諸施設も設立後半世紀を経てかなり老朽化しており、これを機会に施設の刷新を図ってはどうか、などと個人的には思ったりもしています。

が、まずは、伊豆でのオリンピック競技の開催を目指して、誘致に頑張っていただきたいと思います。あとまだ5年もありますから、再整備はそれからのこと。関係各者の奮起を期待したいと思います。

潮風にふかれて

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ここ、ニュータウンは山の上にある別荘地ですが、意外なことに、海からはそう遠くなく、クルマで20分ほどで、西伊豆の海に達することができます。

内浦漁港」という小さな漁港があり、これは伊豆市の西を南北に走る伊豆中央道、もしくは国道414号から西へ分岐する、県道130号を辿った先にあります。

山間の道を抜けて海が見えるようになると、そこはもう「内浦」と呼ばれる内湾になっており、この地は、「三津(みと)」と呼ばれる古くからある津です。「三津三叉路」の信号を左折すると、すぐに漁協が運営する漁港防波堤と、その荷揚げ施設などが並ぶヤードが目に飛び込んできます。

その先をもう少し行くと、「三津シーパラダイス」というアミューズメント施設もあり、これは1930年(昭和5年)日本で初めてバンドウイルカを飼育した「中之島水族館」を前身とした歴史ある水族館です。イルカやアシカなど海獣達のショーなどが有名で、休日には多くの観光客でにぎわいます。

その少し手前にある内浦漁港では、毎週日曜日の早朝(通常8時)から朝市をやっています。漁港内の駐車場となりの荷揚げスペースが朝市の会場になっており、駐車場は30~40台ほどもありますが、いつも満杯で止めるところがないほど混雑しています。

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市場の規模はそれほど大きくなく、テントが10ほどもある程度。でも、それぞれのテントで野菜や魚、お惣菜や果物、干物、といったさまざまなものを売っています。これらは野外にある露店なのですが、これとは別に魚を水揚げする屋根付きのヤードがあり、こちらでは魚介類のみを売っています。

内浦の漁師さんが採ったとれたての魚を売っているようですが、先日行ったときはサザエは、4個ほどを1500円で売っていました。東京のスーパーでは、これ一個だけでも500円くらいすることもあるので、安いといえば安い。このほか、アワビが一個1200円、三個で3000円など、値段は少々高めのものもあります。

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でもおさかなのほうは、わりとリーズナブルで、立派なサバが一尾500円。ムツ2尾が400円、カマス4尾が600円といったところ。お店の人にお刺身にするにはどれが良いかと聞いたら、スルメイカがいいだろうというので、値段を聞くと、おおぶりのもの7杯が500円とのこと。安い・・・

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市場を出て、北側の漁港のほうに回ると、ここは釣り人のメッカにもなっています。休日ともなると、防波堤の端から端まで人がぎっしり。早朝だというのに親子連れで来られている人も大勢いますが、おそらくはほとんどが地元の人だと思います。が、駐車場には、横浜や品川ナンバーの車も見受けられ、週末を利用して東京方面から来た釣り客もいるようです。

それにしても、みんな黙々と海に向かって糸を垂れていらっしゃいます。よく飽きないなと思うのですが、釣れる釣れないはともかく、潮風にふかれながら、のんびり海を眺めながら過ごすことができる、というのは幸せなことかもしれません。

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この内浦漁港、こじんまりとした漁港で、停泊している船をざっとみると30~40艘といったところ。日曜日なので漁は休みのようでしたが、普段どんなものが揚がっているのか気になったので、うちに帰ってから、「浦漁業協同組合」のホームページをみてみました。すると、ここで揚がっている魚は、タチウオ、マアジ、マダイ、カンパチ、カマスなどが多いようです。

季節による違いもあるのでしょうが、今の時期はカマスとかがおいしいのかな? 塩焼きにすると絶品です。このほか、イセエビやマダコも揚がるようです。季節ごとに来てみると揚がっている魚の種類も変わってくるかもしれないので、これからちょくちょく来てみたいと思います。

みなさんもニュータウンに引っ越して来たら、ぜひお立ち寄りください。

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韮山反射炉界隈

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先日、韮山反射炉の世界遺産への登録が決まりました。お隣の伊豆の国市の産業遺産ということになりますが、とりあえずは「伊豆国」住民としてお喜びを申し上げたいと思います。 

この反射炉ですが、再三の報道で皆さんご存知でしょうが、金属融解炉の一種です。18世紀から19世紀にかけて鉄の精錬に使われました。が、20世紀以降も、鉄以外の金属の精錬には一部の特殊な分野で使われています。銅製錬、再生アルミニウムなどがそれです。 

が、鉄鋼の精錬では転炉など他の方式に取って代わられ使われることはなくなりました。熱を発生させる燃焼室と精錬を行う炉床が別室になっているのが特徴です。燃焼室で発生した熱を天井や壁で反射、側方の炉床に熱を集中させます。 

そしてその炉を形成するためには大量のレンガが使用されます。また、排煙設備も必要となり、そのための煙突にもレンガが使用されたため、炉床や燃焼室と合わせてああいう特殊な形状の構造物が形成されるわけです。 

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幕末に、このような反射炉がバタバタ作られたきっかけは、欧米各国の船舶の、和親通商を求めての頻繁なる来航です。このため、日本近海に外国船の出没が増え、海防の必要性が問われるようになりました。

薪や水の提供を求める彼等は強引に上陸することもあり、住民とのトラブルも急増しました。鎖国政策をとっていた幕府は、沿岸防備の重要性を痛感し、朝令として「お寺の梵鐘を毀して銃砲を作れ」という命令を各藩に下します。こうして、各藩は、鐘を鋳つぶして青銅砲の製作にかかりました。

しかし、産銅の減少や、数量、費用的な面からすぐに鋳鉄製とする必要に迫られるようになります。外国船に対抗するには精度が高く飛距離の長い洋式砲が必要とされましたが、そのためには鉄製が最適でもありました。しかし従来の日本の鋳造技術では大型の洋式砲を製作することは困難であり、そこで、外国式の溶解炉に活路を求めました。

各藩ではいろいろこの溶解炉について研究を始めます。そしてその結果、オランダの技術書により反射炉というものがあることを知ります。しかし、外国の技術者を招聘することが叶わない時代でもあり、佐賀藩の鍋島直正、伊豆韮山代官の江川英龍、などは、オランダの技術書を翻訳し、「鉄熕鋳鑑図」として、これを参考に自前で反射炉を作り始めました。

この書物はその後他藩にももたらされ、さらに他の藩でも反射炉の製造を始めましたが、その製作年代順としては、最初が佐賀藩、薩摩藩、ついで伊豆となります。さらに技術水準は低かったものの、これに追従したのが、水戸藩、鳥取藩、萩藩(長州藩)などでした。 

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韮山反射炉の建設計画は、1853年(嘉永6年)に持ち上がりました。この年の黒船来航を受けてのことであり、江戸幕府直営の反射炉として築造が決定されました。同年、伊豆下田にて築造開始。ところが翌年、下田に再入港したペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入し、その存在が露見しかけたため、築造場所が韮山に変更された、という経緯を持ちます。

製造を主導した韮山代官江川英龍は、1840年(天保11年)に勃発したアヘン戦争に危機感を覚えました。そして幕府に提言する海防政策の一つとして、鉄砲を鋳造するために必要な反射炉の建設をあげ、その築造許可を得ました。

しかし、その完成には四苦八苦し、結局、江川英龍はその生前にはこれを完成させることができませんでした。1855年(安政2年)、江川英龍が死去すると、跡を継いだ息子の江川英敏が築造を進め、1857年(安政4年)にようやくこれを完成させています。

製作開始から3年後の1857年(安政4年)のことであり、しかし築造途中だったこの炉の完成のためには、佐賀藩の技師田代孫三郎・杉谷雍助以下11名を招き、技術協力を得ています。以後、1864年(元治元年)に至るまで、ここでほぼ7年間操業され、大砲数百門を鋳造してその役目を終えました。 

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ただ、実際には、製造された大半が青銅鋳砲で、鋳鉄砲は、ほとんど作られなかったといいます。それでも大小数百の砲は、江戸湾防備のために品川台場に設置されました。しかし、1863年に続けた起った薩英戦争、下関戦争などでは、こうした国産大砲はイギリスなど外国船の大砲に比べて全く使えないことがわかりました。

韮山反射炉の道案内は、多くの報道がなされているので不要かと思います。ただし、駿豆線を使って電車で来られる方で、最寄駅が韮山だと思っている方も多いと思いますが、一番近いのは伊豆長岡駅です。お間違いのないように。ニュータウンからクルマでは、だいたい30分の工程です。

なお、韮山反射炉まで来たら、せっかくですから、韮山代官江川英龍が住んでいた、江川邸にも足を延ばしてください。

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韮山代官であった江川家の邸宅であり、かつ、韮山代官所を兼ねていました。支配地域は、伊豆国を中心とし、駿河国・相模国・武蔵国に及び、幕末には甲斐国までも管轄していました。韮山代官職は、江川家によってほぼ世襲され、当主は代々江川太郎左衛門を名乗のり、統治をしていました。

上述の江川英龍もまた、表向きは太郎左衛門を名乗っており、これは36代当主になります。

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その居宅でもあって代官所が、国の重要文化財に追加指定され、公開されているのが「江川家住宅」です。「江川邸」とも呼ばれます。屋敷内は、プチ博物館として整備されており、青銅で作られた野砲なども置かれていて、なかなか興味深いものがあります。

なお、この韮山代官所の隣には、韮山郷土史料館もあり、この地帯一帯の歴史文物が展示されており、史料館のすぐ裏手にある北条早雲の居城、韮山城から出た出土品なども展示されています。韮山城址は眺めの良いところで、ここからは雄大な富士も眺めることができます。合わせて訪れてみてください。

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朝日と夕日

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山がちの場所の多い伊豆では、ちょっとクルマを走らせればどこにでも、といったかんじで川があり、そこから少し山合いに入ればこれが渓流となり、さらに奥へ奥へと分け入ると、あちこちに滝があります。 

名のないものが多い中で、有名なものとしては、演歌でご存知、浄蓮の滝や、河津町にある河津七滝(ななだる)などがあり、このほかあまり知られていませんが、万城の滝というのもあります。 

このニュータウンからすぐ近くのところにも、二つの滝があり、その名も、旭滝、雄飛滝といいます。「朝日と夕日」を連想させるネーミングですが、この町を挟んでちょうど北側と南側にある、ということろは、ちょっと面白いなと思います。

まず雄飛滝のほうですが、沼津方面から来るとすれば、国道136号と狩野川を挟んで並行に走る、県道129号線を山田川の付近、熊坂で右折して山側に入ります。滝までは一本道ですが、わかりにくければ、こちらを参照してください。熊坂地区から2.8kmで、道路脇に雄飛滝の標識があります。 

海側の沼津市内浦地区からも県道17号線で約3.5kmでここにつきますが、道が入り組んでいる上にクルマがすれ違えないほど道幅が狭いので上のコースをお勧めします。 

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駐車スペースはクルマ一台ほどしかありません。この標識のところからも滝が少し見えますが、つづら折りに道が滝下まで続いているので、こちらを降りていくと、上段と下段に別れた滝が見えてきます。上段は落差20m、下段が落差10m。滝の下に不動明王が祀られています。

それほど大きな滝ではありませんが、「秘境」を感じることができ、すばらしい柱状節理の間を縫うように流れ落ちる姿が印象的です。普段は流量があまり多くありませんが、それなりに楽しめます。しかし、流量が増える雨後がお勧めです。 

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さて、旭滝のほうですが、こちらは、伊豆市大平というところにあります。修善寺からだと、国道136号線をクルマで南下して、10分ほどのところにある、大平公民館の前に、旭滝の表示看板があります。旭滝入口信号(大平公民館前)を右折し、200mで左手に大平神社があり、その前に駐車場(無料)があります。 4台を止めることができ、またトイレもあり、きれいに整備されています。

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落差105m、朝日の昇る時正面から光を受けて輝くのでこの名になったといわれています。 駐車場からは上のほうしか見えませんが、案内標識に従って歩いていくとものの1分で落差の大きい雄大な滝が見えてきます。高低差100mあまりもある大滝で、細かくみると、6段に分かれており、真東を向いていて毎朝朝日を受けることから、「旭」の名がつけられたようです。 

周辺にはモミジが多数植えられており、見ごろはやや遅めの12月上旬~中旬になります。先ほどの雄飛滝もそうですが、こちらも溶岩が冷えて固まる過程で作られた、柱状の割れ目、「柱状節理」の断面の上を滑るように流れている滝で、伊豆半島ジオパークのジオサイトに指定されています。 

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遊歩道が整備され、滝の真横まで行くことができるため、この柱状節理を間近で観察できます。滝周辺は公園として整備されており、ああちこちにベンチもあります。滝壺に流れ落ちる滝の音を聞きながら座っていると心地よい清涼感を味わえます。気持ちが良いので、ついつい長居をしてしまいます。 

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実はここには以前、功徳山瀧源寺という伊豆では唯一の普化宗の寺院がありましたが、明治初年に廃寺となりました。ここの修験道者は、いわゆる「虚無僧」と呼ばれる人たちでした。虚無僧といえば尺八ですが、この地は、尺八の名曲、「滝落」という曲の発祥の地だそうで、その事を書いた石碑も建立されています。また、往時に修業に励んだ虚無僧の墓らしいものも滝横にあり、地元の方がいつも花などを添えていらっしゃいます(下の写真)。

江戸時代にはここにこの寺の本堂と観音堂があり、本尊であった、木彫11面観音菩薩立像と木彫不道明坐像は静岡県の県指定文化財となり、この旭滝のある谷から尾根を一つ隔てて南側の谷にある、「金龍院」というお寺に安置されているそうです。 

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ちなみに、この金龍院というのは、北条早雲の息子の北条幻庵の菩提寺になっています。北条早雲と駿河の有力豪族であった葛山氏の娘との間に生まれた3男で、早雲の男子の中では末子となります。幼い頃に僧籍に入り、箱根権現社の別当寺であった、金剛王院に入寺しました。 

箱根権現は関東の守護神として東国武士に畏敬されており、関東支配を狙う早雲が子息を送って箱根権現を抑える狙いがあったと見られます。 

幻庵はここで僧侶としても活躍しましたが、馬術や弓術に優れ、甲斐の武田信虎や上杉謙信との合戦にもたびたび出陣して戦功をあげており、早雲亡きあとは、一門の長老として宗家の当主や家臣団に対し隠然たる力を保有していました。天正17年(1589年)に死去。享年97という当時としては驚異的な長寿でした。 

幻庵の死から9ヵ月後の天正18年(1590年)、後北条氏は豊臣秀吉による小田原成敗で攻めたてられて敗北し、戦国大名としての後北条家は滅亡しました。 

伊豆一帯は、この後北条氏とゆかりの多い場所が多いものですが、この旭滝のある近辺もまた後北条氏と縁の深い場所のようです。滝を見るついでに、そうした古刹を見て回るのも楽しいかもしれません。

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