朝日と夕日

山がちの場所の多い伊豆では、ちょっとクルマを走らせればどこにでも、といったかんじで川があり、そこから少し山合いに入ればこれが渓流となり、さらに奥へ奥へと分け入ると、あちこちに滝があります。

名のないものが多い中で、有名なものとしては、演歌でご存知、浄蓮の滝や、河津町にある河津七滝(ななだる)などがあり、このほかあまり知られていませんが、万城の滝というのもあります。

このニュータウンからすぐ近くのところにも、二つの滝があり、その名も、旭滝、雄飛滝といいます。「朝日と夕日」を連想させるネーミングですが、この町を挟んでちょうど北側と南側にある、ということろは、ちょっと面白いなと思います。

まず雄飛滝のほうですが、沼津方面から来るとすれば、国道136号と狩野川を挟んで並行に走る、県道129号線を山田川の付近、熊坂で右折して山側に入ります。滝までは一本道ですが、わかりにくければ、こちらを参照してください。熊坂地区から2.8kmで、道路脇に雄飛滝の標識があります。

海側の沼津市内浦地区からも県道17号線で約3.5kmでここにつきますが、道が入り組んでいる上にクルマがすれ違えないほど道幅が狭いので上のコースをお勧めします。

駐車スペースはクルマ一台ほどしかありません。この標識のところからも滝が少し見えますが、つづら折りに道が滝下まで続いているので、こちらを降りていくと、上段と下段に別れた滝が見えてきます。上段は落差20m、下段が落差10m。滝の下に不動明王が祀られています。

それほど大きな滝ではありませんが、「秘境」を感じることができ、すばらしい柱状節理の間を縫うように流れ落ちる姿が印象的です。普段は流量があまり多くありませんが、それなりに楽しめます。しかし、流量が増える雨後がお勧めです。

さて、旭滝のほうですが、こちらは、伊豆市大平というところにあります。修善寺からだと、国道136号線をクルマで南下して、10分ほどのところにある、大平公民館の前に、旭滝の表示看板があります。旭滝入口信号(大平公民館前)を右折し、200mで左手に大平神社があり、その前に駐車場(無料)があります。 4台を止めることができ、またトイレもあり、きれいに整備されています。

落差105m、朝日の昇る時正面から光を受けて輝くのでこの名になったといわれています。 駐車場からは上のほうしか見えませんが、案内標識に従って歩いていくとものの1分で落差の大きい雄大な滝が見えてきます。高低差100mあまりもある大滝で、細かくみると、6段に分かれており、真東を向いていて毎朝朝日を受けることから、「旭」の名がつけられたようです。

周辺にはモミジが多数植えられており、見ごろはやや遅めの12月上旬~中旬になります。先ほどの雄飛滝もそうですが、こちらも溶岩が冷えて固まる過程で作られた、柱状の割れ目、「柱状節理」の断面の上を滑るように流れている滝で、伊豆半島ジオパークのジオサイトに指定されています。

遊歩道が整備され、滝の真横まで行くことができるため、この柱状節理を間近で観察できます。滝周辺は公園として整備されており、ああちこちにベンチもあります。滝壺に流れ落ちる滝の音を聞きながら座っていると心地よい清涼感を味わえます。気持ちが良いので、ついつい長居をしてしまいます。

実はここには以前、功徳山瀧源寺という伊豆では唯一の普化宗の寺院がありましたが、明治初年に廃寺となりました。ここの修験道者は、いわゆる「虚無僧」と呼ばれる人たちでした。虚無僧といえば尺八ですが、この地は、尺八の名曲、「滝落」という曲の発祥の地だそうで、その事を書いた石碑も建立されています。また、往時に修業に励んだ虚無僧の墓らしいものも滝横にあり、地元の方がいつも花などを添えていらっしゃいます(下の写真)。

江戸時代にはここにこの寺の本堂と観音堂があり、本尊であった、木彫11面観音菩薩立像と木彫不道明坐像は静岡県の県指定文化財となり、この旭滝のある谷から尾根を一つ隔てて南側の谷にある、「金龍院」というお寺に安置されているそうです。

ちなみに、この金龍院というのは、北条早雲の息子の北条幻庵の菩提寺になっています。北条早雲と駿河の有力豪族であった葛山氏の娘との間に生まれた3男で、早雲の男子の中では末子となります。幼い頃に僧籍に入り、箱根権現社の別当寺であった、金剛王院に入寺しました。

箱根権現は関東の守護神として東国武士に畏敬されており、関東支配を狙う早雲が子息を送って箱根権現を抑える狙いがあったと見られます。

幻庵はここで僧侶としても活躍しましたが、馬術や弓術に優れ、甲斐の武田信虎や上杉謙信との合戦にもたびたび出陣して戦功をあげており、早雲亡きあとは、一門の長老として宗家の当主や家臣団に対し隠然たる力を保有していました。天正17年(1589年)に死去。享年97という当時としては驚異的な長寿でした。

幻庵の死から9ヵ月後の天正18年(1590年)、後北条氏は豊臣秀吉による小田原成敗で攻めたてられて敗北し、戦国大名としての後北条家は滅亡しました。

伊豆一帯は、この後北条氏とゆかりの多い場所が多いものですが、この旭滝のある近辺もまた後北条氏と縁の深い場所のようです。滝を見るついでに、そうした古刹を見て回るのも楽しいかもしれません。

 

 

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